南フランス周遊の旅

2006年5月31日から6月16日までの17日間、南仏を周遊してパリに至るまでの旅をした。最初の1週間は南仏ツアーに参加。その後、個人旅行でカルカッソンヌからロット県の民宿など南西フランスを列車で廻りパリに戻ってパリには4日間滞在した。
ツアー参加者の18名は5月31日パリ経由でマルセイユに到着。直ぐにバスでエクサンプロバンスへ移動し、23時過ぎにホテルに着く。翌日は10時からエクサンプロバンス市内とアルル地方を観光。その後アビニヨンに移動して宿泊した。
3日目はプロバンス地方の町を訪ね、アビニヨン→サンレミドプロバンス→レボードプロバンス→フォンビエイユへとバスで周り再びアビニヨンに戻った。
4日目はニースへ向けて出発。途中カンヌ市内観光、丘の上の城壁の街サンポールドバンス市街観光とルノワールのアトリエのあるカーニシュルメール市を見学した。
5日目から7日目まではニースを宿泊拠点にして市内観光、断崖の村エズとモナコの観光などをしてコートダジュールの景色を満喫した。ツアー最後の1日自由行動の日は、我々はオプショナルツアーには参加せず、翌日からの列車旅行の下調べをするなどゆっくりとニース市内で過ごした。
6月6日我々2人はツアーグループと別れ、11時にニース駅から列車に乗り出発。マルセイユを経由して予定通り18時過ぎにカルカッソンヌに到着した。
カルカッソンヌでは予め日本で手配していたガイドの助けを借りつつ、城壁(シテ)内のホテルに2泊して、カルカッソンヌ城内の観光を隅々まで楽しむことができた。
6月8日の午後カルカッソンヌ駅を出発、トゥールズで乗り換えてさらに約2時間半、山を越えて奥へ入った田舎町フィジャックに到着。フィジャック駅からは出迎えの民宿の車で約40分走ったルブルグ村に着き、民宿「マスドゥラフォイユ」に宿泊した。ここには都合3泊し「フランスの最も美しい村」と言われる一つでゆっくり過ごすことができた。
6月11日にフィジャックの1つ先のアッシェ駅からパリ直通の列車に乗り、5時間半かけて19時にパリに到着した。
パリでは、オペラ座近くのプチホテルに4泊して、モネの館「ジュベルニー」観光、オランジェリーとオルセーの美術館見学や、中西画伯邸訪問などをして楽しんだ。
エクサンプロバンス 市街 エクスはローマ時代から湧き水が多いことで知られ、一番大きい噴水のあるドゴール広場から放射状に道路が広がっている。そのうちのメインストリートがポプラ並木のあるミラボー通り。
通りには市が立って人々で賑わい、あちらこちらで花々が売られ、南仏の陽光がまぶしく感じられる。

(ドゴール広場)

(ミラボー通り)

(街には沢山の花市)
セザンヌゆかりの場所
エックスはセザンヌが生まれ、亡くなるまでの生涯の大部分を過ごした街として知られる。
街にはセザンヌの彫像が飾られ、通っていたカフェや父親が経営していた帽子屋などゆかりの場所が多い。

セザンヌのアトリエが街外れにあり、近くにはセザンヌが生涯描き続けたサン・ヴィクトワール山が聳える。

(街に飾られたセザンヌの彫像。隣は父親の店の帽子屋)

セザンヌのアトリエ。絵のモチーフとなった素材が飾られていた

(遠方に見えるサンヴィクトワール山
アルル ローマ時代の遺跡 アルルは近郊の街ニームやポンデュガールなどと共にローマ時代の遺跡が数多く残っている街として知られる。
現在でも円形闘技場では闘牛が行われる。数本の大理石の柱が残る古代劇場もコンサートやオペラの会場として使われている。
ポンデュガールの水道橋は2000年前にニームまでの約50kmを、傾斜を利用して水を送っていた高さ48mの石の橋。当時のローマの建築技術には驚嘆させられる。

ローマ時代の円形闘技場。一部破損箇所は新しい石材で修復されていた

(大理石柱が残る古代劇場)

(ポンデュガールの水道橋。昔の優れた石積の技術が完璧に残されている)
ゴッホゆかりの風景 ゴッホの作品「夜のカフェ」の場所は今でもそのままカフェとして使われ、観光客を集めている。
「ラングロワ橋」の作品で知られるアルルの跳ね橋は運河にかかる橋として観光用に復元されていた。
ゴッホが入院していた病院は、ゴッホの絵のままに復元され、今ではアルル市の総合文化センターとして使われている。
今回は丁度この地方特有の強い北風「ミストラル」が吹き、周辺至る所で見掛ける糸杉の木が丁度ゴッホの絵に描かれている様に揺れ動いていた。

(ゴッホの「夜のカフェ」が描かれた場所)

(ゴッホの絵に出てくる跳ね橋。別の場所に絵を真似て復元したもの。)

(ゴッホが入院したことのある病院跡)
アビニヨン 法王庁 アビニヨンは14世紀のフランス国王の力が強い頃、ローマに代わり68年間法王庁が置かれ、カトリックの中心地として繁栄した。
法王庁はローヌ川のほとりに中世の城壁に囲まれた姿のまま残っている。
ローヌ川の対岸からの眺めは、法王庁の城壁と歌で有名な「アビニヨンの橋」(サン・ベネゼ橋)が一望できて、一幅の絵を見る様に美しい。

(ローヌ川の対岸にサン・ベネゼ橋と法王庁が見える)

(法王庁と城壁の外観)

(法王庁宮殿)
周辺の都市 ◎サンレミドプロバンスはゴッホが治療していた精神病院があることと、ノストラダムスの生家があることで知られている。

◎レボードプロバンスは岩山の上に造られた城砦都市。今はその景観の素晴らしさから観光地となっている。

◎フォンビエイユにはドーデの小説「風車小屋だより」の風車がプロバンスの象徴として残されている。

(ゴッホが治療していた精神病院。糸杉が風に揺れていた)


(レボードプロバンスの城砦からの眺め)


(ドーデの風車小屋)

カンヌ 映画祭と高級リゾート地 プロバンス地方からコートダジュールの海岸へ出ると海の色が眩しく、カンヌの街もいかにも高級リゾート地の雰囲気が漂い、街全体が華やいで見える。
映画祭の会場は5月に行われた名残で、まだ赤い絨毯が敷かれていた。
海岸沿いでは、大規模な骨董市が開かれていた。

(カンヌ映画祭の会場)

(カンヌの海岸で)

(海岸沿いの骨董市)
周辺の都市 ◎サンポールドバンスは中世の石造りの家々が丘の頂上に建つこの地方特有の「鷲の巣村」。麓から街全体が一望できる。街中の石造りの家々の多くは今ではお土産屋に代わっていた。

◎カーニュシュルメールはルノアールが晩年の12年間を過ごした場所。アトリエなど当時のままの建物が保存されている。

(遠方に見えるサンポールドバンス)

(ルノアールの住居。今では記念館となっている)

(ルノアールのアトリエ)
ニース 市街 地中海に面する大きな湾に沿って浜辺と遊歩道が整備され、後方には高級リゾートホテルが建ち並んでいる。浜辺の多くはこれらホテルの専用ビーチとなっていた。街の広場には毎日市が立ち、魚介類、野菜、骨董品など何でも売っている。
賑やかな海岸沿いから一歩奥へ入ると、超高級リゾートマンションが建ち並び落着いた住宅街を形成している。

(ニースの海岸)

(海岸沿いの遊歩道。反対側には高級ホテルが軒を並べる)

(ニースの骨董市)
シャガール美術館 シャガール美術館はニース市内北東、公園や住宅街のあるシミエ地区の一角にある。近くにはローマ時代の円形闘技場跡やマチス美術館などもある。

シャガール美術館では、この場所でしか鑑賞できないシャガールの壁画や多くの独特の美しい色使いの絵を見ることができた。

(シャガール美術館内。
独特の色使いの絵が目を引く)

(シャガールの屋外壁画)

(シャガールデザインのステンドグラス)
モナコ コートダジュールの海岸とモナコ モナコはバチカン市国に次ぐ世界第2の小国。
ニースから美しいコートダジュールの海岸線を約1時間弱走ると、はっきりした国境線がないままにモナコに入った。観光だけなら半日もあれば充分の広さの国。
大公宮殿、モナコ大聖堂、F1グランプリコースなどを見学した。

(モナコ近くのコートダジュールの港。手前には世界の大富豪の別荘が建ち並ぶ場所)

(モナコ内を走る観光車)

(モナコ正面の港。手前の湾沿いの市街道路でF1サーキトが開かれる)
ニースからカルカッソンヌへ ニース・ヴィル駅から2等自由席の列車に乗る。各車両は8人掛けのコンパートメント。マルセイユまで約2時間半、マルセイユ近くまでは乗客も少なく、コンパートメントを独占してゆっくりとくつろげた。しかし、どの車両も窓が開閉できず、汚れていて景色が充分には楽しめないところが日本と違う。


マルセイユからはカルカッソンヌ行き座席指定車に乗り換える。車内はフランスらしい洗練された色使いでなかなか快適。所要時間は約3時間でダイヤも日本並みの正確さで運行されていた。

(ニース駅ホーム)

(ニースからマルセイユへの車内)

(到着したマルセイユのホーム)

(マルセイユからカルカッソンヌ行き座席指定車)
カルカッソンヌ滞在記 カルカッソンヌ駅に着くと、予め日本で手配していた日本人女性ガイド小万記さんが出迎えてくれた。彼女はこの地方出身のフランス人と結婚し、カルカッソンヌに住んで日本人向けのガイドをしている。
翌日は一日中彼女の案内で城内の観光を楽しむことができた。
駅からタクシーで市街を走ること約10分、城壁の街シテに入る。城壁内では車1台がようやく通れる石畳の道を沢山の観光客をかわしつつ走り、19時頃ホテルに着く。フランスはこの時間でも昼間のように明るい。
この城内のホテルで2泊したが、滞在中は夜景を見に城外に出掛けた以外は、観光、食事など全て城内で過ごした。
城砦内ではコンタル城、バジリカ聖堂、城壁上などを見学。他の石造りの建物の大部分は土産物屋かレストランとなっている。
見学後は土産物屋を隈なく見て歩き、夕方は観光客も減り日本人を一人も見掛けない独特の中世の香りがする雰囲気の中で、テラスレストランでこの地方特産の鴨料理やカスレとワインを楽しみながらのんびり過ごした。
夕暮れとなる10時頃に歩いて城外の橋まで歩く。平野一面に広がる夕焼けと暗くなってライトアップするシテの景色を楽しむことができた。


(市街の橋から高台にある城砦(シテ)の眺め)

(城砦から眺めた城外の街並み。国境のピレネー山脈まで平野が続く)
(歴史)
カルカッソンヌはオード川右岸高台にあるシテ(城砦)と左岸にある城外下町で構成されている。城砦は長さ3キロの2重の砦で囲まれていて、内側の砦は3世紀から4世紀にローマ人によって造られた。13世紀にはフランス国王の領有となり、外側の城壁が作られ、対スペインへの重要な要塞の役割を果たした。17世紀にスペインとの国境がピレネーに後退すると、急速に衰退し廃墟同然となった。19世紀に入り、当地出身の知識人達に見直され、建築家ヴィオレル・デュックにより修復がなされ、現在のようなフランス有数の観光地となった。城砦にある塔の三角形のとんがり帽子は彼のアイディアで後から付けられたもの。

(城砦(シテ)の入口。
中世の堀や跳ね橋がそのまま残っている)

(城壁上からの眺め)

(2重の城壁の間。
今では歩いたり馬車で1周できる見学コース)

(城壁外周を一周して見学する馬車)

(下から眺めた城壁)

(夜間にライトアップしたシテの眺め。夜空に幻想的な姿で浮かび上がる)
カルカッソンヌからトゥールーズ、フィジャックを経由して民宿へ 13時半にカルカッソンヌ駅を出て約1時間でトゥールーズに着いた。カルカッソンヌでガイドをしてくれた小万記さんのご主人でフランス人のフランクさんが、列車を乗り間違えないようにとトゥールーズまで同行。列車の出発ホームまで見送ってくれたお陰で目的地フィジャック駅まで迷わずに予定通り着くことができた。
途中トゥールーズ駅ではフィジャック行き列車の出発が1時間半後なので、荷物を預けてトゥールーズ駅周辺の市内を急ぎ歩いて見学した。
トゥールーズからフィジャックへは1時間20分。人家の全く見えない山野の中を、いくつものトンネルをくぐって進むにつれ、フランスの田舎の奥深くに入ったという感じが強くしてくる。
フィジャックはこの地域の田舎の中心都市。しかし車がないと周辺の村への連絡手段は全く無い。
駅には民宿を経営するスガ子さんが、車で出迎えてくれた。車で街を抜けるとすぐに林や畑が続き約30分で、ル・ブルグという小さな田舎の村に入る。さらに田舎道を走ると10分ほどでシャンブルドット(民宿)「マス・ドゥ・ラ・フォイユ」に到着した


(トゥールーズの駅)




(トゥールーズ駅前の運河。ここを起点に地中海の港町まで240kmを結びミディ運河として世界遺産となっている)

(ル・ブルク村にある宿泊した民宿「マス・ドゥ・ラ・フォイユ」の入口)

(スガ子さん夫婦と大阪から遊びに来たスガ子さんの兄と母親と)
シャンブルドット滞在記 (民宿紹介)
この地方出身のご主人シャールさんと大阪出身のスガ子さん二人で約10年前から民宿を始めている。部屋は3部屋で定員7名という家族的なペンション。宿泊客は情報を聞いたり、毎年訪ねるリピーターの日本人が多い。以前は訪ねる人も少なかったが、日本のテレビで紹介されたり、「地球の歩き方」に載るようになってから、かなり忙しくなったとのこと。ただ冬の数ヶ月は観光に向かないので閉鎖する。
朝はおいしいフランスパン、夕食はシャールさん手作りの日本人向けのフランス家庭料理が出る。宿泊客は同じテーブルを囲みこの地方特産のロカマドールチーズとおいしいワインを味わいながら談笑できるので自然と話もはずむことになる。
朝は鳥のさえずりで目が覚める。フランスには国指定の「フランスで最も美しい村」が148あり
31の村がこの地方に集中している。別契約となるが、民宿の車で、これらの村や世界遺産の場所へご主人が案内をしてくれる。


(民宿のパンフレット)
(1日目)
シャールさんの車で、午前中は世界遺産のロカマドールを見学。
午後はパディラックの大洞窟と
「美しい村」の一つルブルサック村を見学した。

パディラックは地下75m全長15kmのヨーロッパで第2の鍾乳洞。エレベーターで地下に降りると、しばらく歩いて、途中から舟に乗って往復する。そのスケールの大きさには驚かされる。

(絶壁の巡礼地ロカマドール。礼拝堂には黒い聖母子像がある)

(パディラックの大洞窟。地下75mを舟で移動中)

(丘の上に石造りの家々がひっそりと建つルブルサック村)
(2日目)
シャールさんの案内で中世の町と言われるフィジャックで土曜日に開かれる朝市と市街を見学。午後は美しい村サンシルラポピーを訪ねた。

(フィジャックの朝市)

(ロット川の渓谷沿いのサンシルラポピー村)

(中世の建物がそのまま残るサンシルラポピー村)
(3日目)
午後からパリへ出発するので、午前中は隣の村まで車で送ってもらい、村を散策した後約1時間かけて田舎道を散歩しながら民宿に戻った。

(前方に見える隣村と散策した近くの池)

(村の周辺には牛や馬が放牧されている)

(田舎道沿いに建つ民家はどこも花で飾っている)
アッシェからパリへ 民宿に一番近いアッシェ駅までシャールさんに送ってもらい、13時半のパリ行き直通のローカル列車に乗る。約5時間半かかり予定通りの19時にパリ・オーステルリッツ駅に着いた。
パリではオペラ座の裏側、サント・トリニテ教会のそばのプチホテルに4泊した。


(パリへの直通列車が止まるアッシェ駅。人影は余りない)

(到着したパリのオーステルリッツ駅)

(宿泊ホテル近くのサント・トリニテ教会)
パリ滞在記 (1日目)
午前中はマドレーヌ寺院からセーヌ沿いを散策。その後、連絡船バトービュスに乗りセーヌ川沿いを観光する。バトービュスはセーヌ川を走るバス代わりの船。8つの発着所があり、1日券を買えば、乗り降り自由でセーヌ川沿いの移動や両岸の景観を格安で楽しむことができる。

午後は修復して開館したばかりのオランジュリー美術館を見学。地上階を2室に分け、長さ数メートルのモネの睡蓮の絵だけを周囲の壁一面に展示している。天井からの採光も工夫されていて素晴らしい空間を作り出していた。入場者数も制限しているので2つの部屋を見比べながら椅子に座ってゆっくりと鑑賞することができた。

(マドレーヌ寺院)

(マドレーヌ寺院の内部)

(コンコルド広場)

(乗船したバトービュス)

(オランジュリー美術館内のモネ展示場)

(モネの「睡蓮」)
(2日目)
午前中は朝からモネの家で知られるジヴェルニーへの半日観光に参加。パリから観光バスで約1時間走ると、モネが晩年の約40年間を過ごした町ジヴェルニーに着いた。広大なモネの家の敷地内には睡蓮の咲く池があり、地下道を潜った隣に花々が咲くモネが作った庭園と住居がある。
モネの家の中には膨大な浮世絵のコレクションや使われた生活家財が展示されていた。

夕方はモンマルトルへ。ゴッホが住んでいたアパートの部屋を借りて目下画壇で活躍中の中西画伯邸を訪問した。昨年末と今回と続けての訪問にも快く迎えて頂き、手作りの日本料理をご馳走になる。




(モネの家の睡蓮の池)



(モネの家の庭園)

(ゴッホはこのアパートの3階に住んでいた)

(入口のプレート。ゴッホは1886〜1888年弟テオとここに住んだと表示)
(3日目)
前回ストライキで見ることができなかったオルセー美術館をゆっくり見学。空いた時間は教会巡りと買い物で1日が終わった。夜は昼間に訪れたサン・ジェルマン・ローセロワ教会の音楽会を楽しんだ。

(オルセー美術館内部。
昔の駅の面影が残る)

(オルセー美術館内でゴッホの絵を模写する人)

(教会の音楽会。パリでは毎晩どこかで開かれている)
(4日目)
朝起きるとホテルの前の通りに警察が立ち交通遮断をしている。昨日もパリ4区で買い物をしようとしたが、交通遮断で出来なかったので2回目の経験。パリでは何か集会があるとテロを警戒してか、よくあることらしい。
帰国便は夕方だが、午前中に買い物を済ませ、午後早々にホテルを発ち、ロンドン経由で帰国の途についた。